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万事オーライ

社長ブログ

2024/01/12

万事オーライ

 

今、亀の井ホテルの一室でこのブログを書いている。どうしてもこのホテルで書きたかった理由がある。

 

実は昨夜、別府駅前の居酒屋の料理が以前に来た時にとてもおいしかったので私は酒は全く飲まないが立ち寄った。そしてメニューを開いたら最初に目に留まったのが油屋熊八物語であった。何度か別府駅には来ていたからこの銅像はよく知っていたし、別府温泉に非常に尽力した人であることも知っていたが改めて油屋熊八という名であること、そして若いころに株で大儲けをしたが、ある時スッテンテンになって渡米したこと、その後皆が定年退職したころに妻の誘いで別府で小さな旅館を経営し始めた。最初はひっそりと暮らすつもりであったが生来の性格はどうしようもないまた面白いアイデアが次々と浮かぶものだから結局また事業になってしまう。そんな話が面白そうで。

 

早速、ホテルに戻り電子ブック(kindle)で探したがあまり無くて「万事オーライ」という本を購入して読み始めた。実は未だ半分も読めてないがそれでも熊八がユキと結婚のきっかけになるくだりは涙が止まらなかった。また株で失敗してスッテンテンになってふてくされているところなどは私は株はしないがビジネスで何億もの借金を背負ってもがき苦しんでいたころがあった。人ごとに思えなかった。また私も2年ほど前からお客様の依頼を受ける形で「やまなみ街道」を頻繁に車で走る。この、私の一番のお気に入りを熊八さんが作ったことも知った。ほかにもアイデアマンと言われた彼はたくさんの日本で初めてのアイデアを沢山実践している。定期観光バスの運行、その観光バスのガイドをかわいい女性にした事。富士山頂に立看板「山は富士海は瀬戸温泉は別府」を立てたことなどは有名だ。要するに別府のみならず日本の「おもてなしの精神」の源流が彼から来ているのを知った。

 

唯、加えてさらに私の心を突き動かしたのは「旅人をねんごろにせよ」の理念が彼をこの観光業に専念させ更に世界への働きかけになったことである。彼がアメリカにわたり悪戦苦闘しているときに親身になってくれた日系アメリカ人牧師が新約聖書(ブル人への手紙13章2節)から引用したのもであった。以前、私もよくアメリカに行っていて結構さみしい思いをした。日本ではきずかないが外国で数か月いると時に激しいホームシックにかかることがある。そんな時に助けてくれる人は相手はそんなに思ってなくてもこちらは地獄に仏である。彼は寂しく苦しかったからこそその言葉が胸に焼き付いたのだろう。

 

日本に帰ってその後の彼の生涯の関心事が旅人をねんごろにもてなすことであったのだ。私はそんな思いを抱きながら本日も九州での仕事を終えて大分空港から最終便で帰郷予定であったのだが、仕事が長引き間に合わなかった。

ここで、私がこの度も九州に何をしに来ているのか説明しておこうと思う。本来の仕事は再生可能エネルギーの普及活動でありほとんどが農地に太陽光発電を建設することが多く、当社が建設するだけではなく関西第一回農業エキスポから最多出展や7年ほど前になるがラジオ関西からの依頼で半年間再生可能エネルギーの普及に関してトーク番組に出演していた。余談だが7年ぶりに昨年12月に電話があり、予定していたコメンテーターの代わりにこの1月だけ毎週木曜日夕方17:50分から5分の番組で7年前と殆ど同じ内容で話してほしいと言われた。もちろん光栄なことであるので引き受けた。そんなこんなで最近はコンサル的な仕事が増えている。

 

話を戻すと、私が熊八氏と共通点を感じたのは現在少し苦戦しているの内容が似ているからだ。詳しくは次回に話すとして、今夜はこの熊八とユキが亀井タマエ(彼女から渡米資金を借りた)から買い取った「亀の井旅館」現在は「亀の井ホテル」に一泊することにした。チェックイン後すぐに目に留まったレストランが「熊八停」であった。そのままの脚で入店し代表メニューの「熊八御膳」?を注文して食べたら、昨夜から読んでいる本と自身の現況とが相まってしまい、またもや食べながら目頭が熱くなる。気恥ずかしくて大方の時間下向きぱなしで食べた。6年ほど前2か月ほどであったがアメリカに現地法人を作るために悪戦苦闘したし同じころユタ州で展示会に出展するのに現地で予定していたアメリカ人社員やその他の人員が全て予定つかずとなり2週間早めに行っていたから結局一人で2メートル程のバナー作成やパンフレットの印刷、会場の設営用架台作成など何日も要した毎日ホームセンタへ行っていた。それらを終えて日本(新大阪駅)で最初に食べたカレー屋で涙が止まらなかった記憶がある。なんの涙かやり遂げた安ど感もあただろうしやはり気が付かなかったが軽度なホームシックになっていたのかもしれない。10年ほど前に退職してマッキンを立ち上げたころ、ほとんどアメリカに行けてなくて久しぶりだったせいか激しい苦痛の(心の)伴うホームシックかかったことがある。かかると表現したのは本当に突然、前触れもなく症状が出た。まるで突如インフルエンザに罹患したようなのと似ていた。一人では居ても立ってもいられない。誰か知り合いの声が聞きたかったし何よりも知り合いに会いたい。結局本当は良くなかったが日本人だが私の住んでいるエリヤで伝道していた女性宣教師が一番近くに住んでいたし、性格的にも優しい人だったから家の中に入れてもらって色々話し相手になってもらった。

 

長くなり過ぎたのでこの辺でまた続きが書きたくなった時にこの続きを書きます。

 

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