ふるさと加東、山田錦のルーツ再認識
2024/04/26
私は兵庫県加東市曽我という小さな町で生まれました。
小学校の頃は農繁期というのがあり午前中で学校は終わり家に帰れます。
帰れると言っても街に住んでい連中は遊べますが、私は文字通り農業をしなくてはなりません。先ずは苗床用の田んぼに種蒔き黒く焼いたもみ殻があったのを覚えています。苗が大きくなるとリンゴの木箱に腰を下ろして苗束にします。真横に瞬間力を入れて引かないと土がたくさんついてきます。
次に梅雨の頃カッパを着て苗束を田んぼに適度な感覚を開けてアンダースローで投げ込みます。まあ、私はこれが得意でした。もしかするとこのスローイングで鍛えられてその後、野球の道に進むことになったのかもしれません。そしてその日中に田植え作業、腰をかがめて5列毎に植え付け少しずつ後ずさりしていきます。そして10月には稲刈り作業田植えと同じ要領で5株ずつ刈っていきます。その後稲木ににかけて乾燥させます。乾燥が終わると脱穀です。この日は比較的ウキウキです籾を取った後は藁がツボキになる前に山のように積み上げられるかその山から飛び降りたり穴を掘って洞窟を作ったり子供には格好の遊び場です。
この度、吉田酒造様が営農型太陽光発電(ソーラーシェアリング)で自然エネルギーを採用した酒作りに取り組まれることになり、改めて私のふるさと加東も酒蔵の多い町であり酒米では有名な山田錦の発祥の地であったことを再認識する機会になりました。もちろん山田錦が兵庫県の南中部辺りが発祥あろうとは思っていましたが、私の全くの地元加東市内に約100年前に酒米試験地が作られ加東市高岡の藤川禎次氏が母方「山田穂」父方「短稈渡船」を人口交配させることで耐病性や収量に長ける「山田錦」を開発したのを知りました。
又、山田錦の優良な苗種屋が私の自宅の300mほどしか離れていない家であったことにも驚きました。
実際に冒頭にも書いたように子供のころから種をもらいに行っていた農家が山田錦の苗種のトップ農家であったのも最近知りました。
既に約二年前にマッキンエナジー自社発電所として、この度吉田酒造様に設置されたのと同じ垂直型ソーラーシェアリングを兵庫県丹波市に建設済みですが、稲作の出来ない場所でしたので「丹波栗」も有名なので栗の木を昨年植えました。この度を機にぜひ加東市でも山田錦や食用うるち米でも加東の地元で逆輸入のつもりで取り組みたいと楽しみにしています。
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